はじめまして カウンセラーの です。 私・妻・母親・仕事・介護 それぞれの役割の中で 自分の人生が虚しくなっている方・生き辛さを感じている方に たしかな自信と希望がよみがえる あなたの心の居場所をつくる お手伝いをさせていただい ております。 私のたどってきた道が、少しでも今悩んでいる方の参考になれば、嬉しく思います。
母から「離婚したらパパとママどっちについてくる?」と聞かれ不安を抱えていた幼少期 私は商売をしている両親のもとに一人っ子として生まれました。物心ついたころから両親は仲が悪く喧嘩がたえませんでいた。 夜中に父の怒鳴り声に目を覚まし、泣きながら「ケンカしないで!!」と訴えたり、母から毎日のように父の悪口を聞かされました。 「離婚したらパパとママどっちについてくる?」と聞かれるたびに「離婚なんかしないでよ。」と心の中で思い、いつも不安でたまりませんでした。幼いなりに家族の団欒を求めていたのを覚えています。 いつもまわりの大人の顔色を伺い気を遣って、良い子でなければならないと思い込んでいました両親の仕事の都合もあり、小学校に入学するのを機に私だけ祖母宅に居候することになりました。途中から伯父(母の弟)が結婚し叔父夫婦と同居になり、祖母から伯母に気を遣うよう言われることが多く、いつも気を遣いながら、良い子でなければならないと無理していたように思います。自分の居場所がないような気がしていました。親子水入らずで暮らしている友達がとても羨ましかったです。 父は仕事で夜遅く、母も遊びに出かけていつもひとり ぼっちで寂しくて泣いていました祖母宅を出て家族で暮らせるようになりましたが、相変わらず両親は不仲でした。父は仕事第一で家庭のことは後回し、夜遅くまで帰ってこない日が続き、母も私が手がかからない子だったので、自分の楽しみを優先し家を空けることが多くなっていきました。毎日ひとりぼっちで夕飯を食べ、話し相手はテレビだけ・・寂しくて何度泣いたことか。
母は自分の都合で私のことをコントロールしようとしたので、いつも自分の気持ちを押し殺していました母は自分を曲げない性格で父の考えと違うことに対しては一切言うことを聞かず、何でも自分の思う通りに行動する人でした。そのたびに私に対しても同調することを要求し私のことも思い通りにコントロールしようとしました。例えば、母が出かけているときに父から電話があったら「お風呂に入っていると言いなさい。言うことを聞かないと私もあなたの言うことを聞いてあげないから」と。こんな生活が嫌でいつも早く家を出たいと思い、自分の子供にはこんな思いを絶対にさせない温かい家庭を築きたいと思っていました。そんな思いもあり幼児教育に興味を持つようになりました。 20~30代 子育てってこんなに大変!!
幼稚園教諭となり様々な子どもや親に接することで子育てに不安やストレスを抱えている母親がたくさんいることを知りました。 子育てが辛くなる時がある 子育ての悩みを相談できる人がいない みんな手探りで子育てをしている 等々 その後結婚し、二人の娘を授かり手探りの育児で毎日があっという間に過ぎていきました(当時は一日がすごくながく感じられましたが)。 子供がなかなかこちらの思い通りにならずイライラが募りつい感情的に怒ってしまい自己嫌悪になりました幼稚園教諭をしてたくさんの子供とかかわってきたはずなのに、自分の子となると全然違う! こちらの思い通りにならずイライラしてつい感情的に怒ってしまい寝顔をみて自己嫌悪に・・・これって自分が絶対になりたくないと思っていた子供を自分の思い通りにコントロールしようとすることをしてるんじゃない?また自己嫌悪・・・そうか、ママには24時間休みがないんだ! でもほかのママたちだって頑張ってるんだから私も頑張らなくちゃ!と何とか毎日を乗り切っていました。子供が成長するにつれ手はかからなくなってきたものの、また新たな悩みが! 娘が友達から仲間はずれにされ自分のことのように苦しんだ次女は新しい環境に慣れるまでに時間がかかり繊細で、自分が相手にどう思われているのかをすごく気にするタイプだったのですが、六年生の時に仲間はずれになり辛そうでした。朝学校に行くとき、玄関を出るのになかなか足が進まない。担任に相談したところ、親がきちんとありのままの娘さんを受け止めてあげることが大切だと言われてどっしりと構えるように意識し、娘が話を聞いてほしいときは聞き、見守るようにしました。がいつ学校に行きたくないと言い出すのではないかと内心ひやひやしていました。また、娘が高校で部活に入部し、人間関係や一生懸命努力してもなかなか結果が伴わなかったり、けがをして復帰するまでの焦りだったり、親としてはただ見守ることしかできないことがいくつもありました。娘が落ち込むたびに私も自分のことのように落ち込んだり苦しんだり不安定でした。 父が難病指定のパーキンソン病になり介護が必要になりました父が難病指定のパーキンソン病になり健康面で不安がでてきたので夫と共に20代で家業を継ぐこととなり育児をしながら会社に通いました。結婚して実家の両親とは程よく距離を置くことができていたのに、仕事面で夫と両親の間がうまくいくよう気苦労が絶えませんでした。父の病状が進行しだんだん身体が不自由になっていき介護が必要になったとき、それまでの夫婦の関係が如実に現れることを両親を見ていて痛感しました。相変わらず母は自分のやり方で介護しようとし、父が言うことを聞かないといらいらしていました。私にも相当当たりがきつかったです。私もできる限りサポートしたつもりだったのですが、父の葬儀の後「今まで介護お疲れ様でした」と母に言ったら、「本当に全部自分でやって大変だった(あなたは何もしてない)」と言われ悲しかったです。 長い介護生活の末父を看取った後、今度は母が末期がんにおかされていることがわかりました二年前に母に末期の癌がみつかり、手の施しようがないといわれ悩んだ末に本人に告知せず看取ることを決めましたが、本当にその選択で良かったのかという思いが常に頭の片隅にありました。あんなに強くしっかりしていた母が、みるみる弱っていくのをみるのはすごく辛かったです。今までたくさん嫌な思いもして、もうたくさんと思い、母とは距離を取りながら過ごしてきましたが、結局大嫌いにはなれなかった。自分が思い描いていた家庭とは程遠かったけれど、大人になって母の気持ちが少しは理解できることも(自分とは考え方が違うが)でてきて、きちんと看取ることができ後悔はありません。 50年続いてきた家業をたたむことになり、先の見えない不安や苦しみで押しつぶされそうになりました時期を同じくして、親会社からの風当たりが厳しくなり、自分たちの思うように営業することができなくなりました。ある施設の中でレストランをしていたのですが、親会社に時代劇の悪代官のような人がいて、全て自分が正しいと思い人の意見に耳を傾けることは一切なくこちらの意見はきいてもらえませんでした。嫌ならやめてでていけと言わんばかりに・・・ひたすら耐えるのみ・・・そうこうしているうちにコロナ禍もあり経営に大打撃を受けてしまいました。とうとう50年続いてきた家業をたたむことになったのです。今まで一生懸命守ってきたものを手放す寂しさとやり切れない思いでいっぱいでした。 これから先どうなってしまうんだろう?先の見えない不安や苦しみで押しつぶされそうになりました。 カウンセリングとの出会いそんな時に、久しぶりに会った友人からカウンセラーをしていることを聞き、話をきいてもらう機会がありました。友人は私の話にじっくりと耳を傾けてくれいくつかのアドバイスをしてくれました。不思議なことに今まで他人に絶対に言えなかったことまですらすらと話してしまったのです。 話を聞いてもらうってこんなに気持ちが楽になるんだ! 辛いときは辛いって言っていいんだ! まだ問題が解決したわけではないけど、一筋の希望が見えてきたように感じました。 それから心理療法に興味を持ち、学び始めました。 心のしくみを知り私自身も過去の自分(インナーチャイルド)と向き合い、親との確執から解放されどんどん癒されていきました。幼い時から今までいつも自分の心の居場所がないと思ってきましたが、やっと自分の心の居場所がみつかった気がしました。 もっと早く知っていたならどんなに良かったことでしょう。 私と同じように辛い思いをしている人の役に立ちたい! アダルトチルドレンの要素が高く人の顔色を見て自分の本音が言えない人の心に寄り添いたい 毒親の心無い仕打ちに振り回されてつらい思いをしている人の心に寄り添いたい 毎日子育てに仕事に一生懸命頑張っているママたちの不安や悩みに寄り添いたい。 夫婦関係に悩んでいる人の力になりたい 肉親の看病、介護で大変な思いをしている人の手助けをしたい。 事業経営の苦労、職場の人間関係に悩む人の役に立ちたい そんな思いでカウンセリングルームを立ち上げることになりました。 ほんの少しの勇気であなたの未来が変わってきます 思い切って未来への一歩を踏み出してみませんか? 私・妻・母親・仕事・介護 それぞれの役割の中で 自分の人生が虚しくなっている方へ 行き場のない思いを吐き出すだけで あなたが試行錯誤してきたすべての意味がつながり たしかな自信と希望がよみがえる あなたの心の居場所をちゃんとつくってあげませんか?
体験カウンセリングの予約はこちら通常カウンセリング 90分 20000円 すぐにうまってしまいますので、お早めにご予約下さいね
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